北九州からの発信にこだわって

皆様、こんにちは。
印刷物やデザインをこよなく愛する、版下太郎と申します。
この度の新型コロナウイルスに罹患された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

本来「よしみ工産株式会社」(@戸畑)のブログ「N9A/ノースナインアーカイブス」は、
北九州を拠点に活躍している企業人×クリエーター×スタートアップなどを紹介する企画でしたが、緊急事態宣言発令により、直接的なインタビューが困難になり試行錯誤の末、SNS/メール/ビデオ通話などのツールを活用して、当面の間リモートインタビューを行うことになりました。

第二回目は、行政書士で「株式会社あかつき舎」代表の安藤進一さんです。昨年から活動拠点を北九州市に移し、法務のスペシャリストの立場を活かして出版ビジネスと地域活性化に取り組まれています。自身は鉄道マニア(鉄ヲタ)であり、趣味が高じて自分の読みたい本(電子書籍)を作ってしまったり、地元FM・エアーステーションヒビキで「オリオン土曜学園」というラジオ番組を立ち上げたり、イベントに広報にお呼びとあらば応援してしまう「行動力」と「KitaQ愛」に溢れる、安藤さんらしいトークになりました。また、頑張っている皆さんに、「エール」を送っていただきました。最後までお楽しみください。出発進行!!

インタビュー/Interview
行政書士・出版業 : 安藤進一

-出身地はどちらですか?
北九州市の西の端、折尾です。東筑高校の近くで、実家(現在の自宅オフィス)の住所表記も東筑。だから、物心ついたときから高校までは一番近い学校、つまり何もしないで東筑高校へ行けると思い込んでいました。それがとんでもないことだとわかったのは、中学に上がるころでしたけどね。
崖の上にある僕の家からは、折尾のまちを貫く堀川とともに、筑豊線の線路を見下ろせます。現在進行中の再開発事業で新線トンネルへの移設が完了すると、列車が行きかう様も見られなくなりますが、往時は筑豊の石炭を運ぶ貨車が長大編成をなし、蒸気機関車が先導する真っ黒な大行進を眺めることができました。
折尾から南の筑豊地方は、かつて「網の目」といわれるほどの鉄道王国でしたから、父や友だちと一緒に様々な路線や駅を巡るのは、それこそ至高の探検だったわけです。これが長じても自分の趣味として、また仕事の原点として続き、出版事業に従事することにもつながっています。商号のあかつき舎は、その筑豊線を走っていた唯一の寝台特急である「あかつき」に因んだものです。

※寝台特急「あかつき」:関西ブルートレインの祖と呼ばれ、昭和50年代には大阪と佐世保を結ぶ編成が筑豊線経由で運行されていた。


- なぜ行政書士・出版業という仕事を選んだのか?
振り返れば、思い込みだけで走ってきたような人生なんですよね。鉄道趣味もですが、小学生の時から作文は好きで、高校に進むや、早くも大学進学は「早稲田文学」一本に絞っていました。大学でも同人誌を発行するなど、将来の「本づくり職」への準備をととのえていたはずなのですが、いざ就職活動になると、なかなか思うに任せませんでした。まあ、後々自分の我の強さに思い当たり、反対に面接する立場になってみると、確かにこりゃいかんなと。それでも、巡り合わせというべきか、途中に転職の場面はあったものの、出版業界のサラリーマンとして企画から取材、執筆、編集、広告、営業と、本づくりのプロセスすべてを経験できたのは幸せなことだと思います。

もっとも、鉄道をテーマとした本をつくる機会は、会社勤めの間では得ることができませんでした。そうした中で、従来の出版事業の常識を覆すモデルが、20世紀末に登場しました。それが電子書籍であり、インターネットを通じた個人出版です。これなら、自分が読みたい本を自分でつくって売ることもできる。そこで「あかつき舎」という個人レーベルをつくり、「駅とまちの将来を考えるフォトエッセイ」というコンセプトで、電子書籍の「駅路VISION」シリーズを興しました。もちろん、この取り組みを将来の独立開業への礎にするという意図ももってのことでした。

令和元年7月、僕は東京の会社を退職して、「こだわりの知を発信する北九州発の出版社」を理念に、あかつき舎を法人化しました。同時に、前年から開業していた行政書士事務所を移転し、兼業しています。一人での経営ですから、僕自身がプレーヤーです。自著の継続はもちろんですが、新規の出版企画や広報の編集制作とともに、著作権ほか知的財産の管理も行政書士として手掛けます。


- 活動拠点を東京から北九州へ移した理由。
理屈抜きで、僕は社会人になって以降、自身のノウハウと事業をもって北九州へ帰ることを、ずっと人生の中間目標にしてきました。紆余曲折あって、その「中間」さえも30年かけてしまうことになったのですが、客観的にみて、僕は人生に欲張りなのだと思います。親に大学まで行かせてもらい、そのまま東京での就職を選び、20代のうちに結婚して子どもも授かり、不自由なく成長させることができた。それだけでも上出来の人生と感謝すべきなのに、まだ自分に対して納得がいってないわけですからね。その結果、一定の貯えが見込めて、かつ子どもたちが成人・独立するまでは、いわゆるリスクヘッジができなかったということです。

ただ、何としても北九州へ帰ろうと決意を新たにした節目はあります。それは、折尾で再開発事業がスタートしたことです。日本初の立体交差駅も、炭鉱時代からの雑然としたまちも、全く姿を変えることになる折尾の将来をどうすべきか。周辺の丘陵地帯がどんどん切り開かれ、学園都市と呼ばれるようになった折尾の中核づくりに、地に足つけてかかわりたかった。やや出遅れ気味の帰還とはなりましたが、まだまだ再開発は長期にわたるので、僕も地元協議会の一員として必ず役割を担う場面が出てくると確信しています。

- 北九州での現在の取り組みと、これからのビジョン。
仕事のつながりは、まず人とのつながりからなので、北九州を離れていた35年のブランクは、さすがに大きいと感じます。ですから、創業1年目は専らプロモーション活動に徹しています。地元のイベントには企画段階からかかわって情報の収集提供を行う。必要の際には、行政書士の立場で諸々の手続きを代行する。もっとも労務提供もあるので(笑)、体調管理と生活のリズムには細心の注意を払っています。そうした活動の中でも、地元へのインパクトとして手応えを感じているのは、創業と同時に加盟した折尾商連の広報誌「ORI-NAVI」(オリナビ:年4回発行)の編集を担っていることです。職業柄、広報誌への意見を請われて全面改訂を提案したところ、そのまま担当という運びになったわけですが、こういう実績は必ず、事業の広がりに役立つと思っています。

一方で、新規の出版企画についても、相談や依頼をいただいています。これは僕が直接、企画から編集、販売までかかわり、着実に全国流通に乗せることを前提にした事業です。書籍には印刷と電子の2種類がありますが、著作の性質や読者ターゲットの特徴に応じて、メディアミックスも含めた制作を行っていきます。行政書士の資格を活かした知的財産づくり、つまり社史や自分史といった分野も、当社の特徴として確立していきたいですね。


- 東京と北九州を繋いで出来ることは?
一足飛びにはいかない話ですが、僕は「北九州を応援する」という発想ではなく、あくまで「北九州から発信する」ことにこだわります。創業後、すぐに始めた地元FM・エアーステーションヒビキでの番組「オリオン土曜学園」(月2回土曜11:00~12:00放送)も、その一環です。早々にYouTube同時配信を導入したのも、あかつき舎のオウンドメディアとして定着させ、東京などとの双方向で情報交流し、北九州のブランド力を高めたいという目的があるからです。もちろん、出版社の提供番組ですから、メディアミックスで書籍企画を連動させることも試みています。

また、北九州からの発信にも二通りあります。一つは地元・北九州の人・モノを全国に発信すること、もう一つは東京など他地域の人・モノを北九州でメディア化することです。将来は、北九州の「モノづくり」の一つに「文化創造」も位置づけたい。たとえば東京には、北九州市の事務所もあれば、民間ベースで「北九州の関係人口を増やす会」(KitaQ関人会)も活動しています。僕も「関人会」のメンバーなので、東京側の活動や実績を北九州から発信する、あるいは東京と北九州の協同企画を実現する、といったことができればと思っています。


- 現在の新型コロナウイルスで働き方が変わりましたか?
なにしろ創業して間もないので、まだ実績云々の段階ではありません。もとより、働き方自体は現状も今後も変えないつもりです。1年目からこの緊急事態を予測したわけではありませんが、借金も先行投資もせず、一つずつ丁寧に事業化するのが僕の方針です。リスクを最小化するために、自宅オフィスを拠点にして、極限までテレワーク対応する。一方で、会社すなわち自身のブランディングに関しては、積極的に外へ足を運ぶ。今のコロナ対策に沿うならば、当面は後者の取り組みを控えて、テレワークの範囲でできるプロモーションに知恵を絞るのみです。

そもそも、サラリーマン時代から「休み」の時間を、自作の執筆や行政書士業務に充ててきたので、それらも含めての一人会社経営であれば、必然的に年中無休となります。年中休まない前提で、体だけは休めたり運動したりする時間をきちんと確保すること。どんな不確定要素があろうと、この基本に変わりはありません。


- 最後に北九州の皆様へ一言、二言…ご自由に!
待っているだけでは解決しない。そんなことは誰もがわかっていても、救いの手を待たざるを得ない局面はあります。今回のコロナ禍は、まさにそれでしょう。だから、自信をもって待つべきは待ってよいと思います。ただ、待っている間に何をするかが重要ですよね。先日、土木業を営む友人から、休業を余儀なくされているうちに、かねて構想していた小説を一気に書き上げ、早速コンテストに応募したという話も聞きました。やりたくても時間が取れなかったことに、今こそチャレンジしてみる。仕事から離れたところでワクワクすることも、許されていい期間ではないでしょうか。

一方、仕事の現実を見つめるうえで、特に強調したいのは、全国的に見ても北九州市の行政サービスは、働く人に手厚いということです。経営のかたも従業員のかたも、毎日1回、北九州市のホームページで産業政策情報をチェックされるよう、おすすめします。広報が行き届かないので見過ごされがちな面はありますが、この北九州で仕事を続けていくために役立つ情報がたくさん載っています。情報を扱う業種の者として、これだけは申し上げたい。情報は「待ち」ではなく「取り」に行きましょう。その姿勢があってこそ、新たな気づき、ヒントをつかめるものと信じます。

プロフィール/Profile

安藤進一(あんどう しんいち)
1966年北九州市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、編集会社取締役、及び民間活力開発機構企画主幹として 経済産業省、外務省、総務省、日本学術会議等所管の広報誌・機関誌、単行本を制作。2018年4月安藤行政書士事務所を開業。日本行政書士会連合会会員第18090709号。2019年7月株式会社あかつき舎を設立、代表取締役就任、現在に至る。
自著に電子書籍『駅路VISION』シリーズ(発売:Amazon Kindle)。2020年5月現在、通巻28巻発行。
https://www.akatsukisha.com/