いつでも安心して来店できる
アットホームなお店を目指して

こんにちは!版下太郎です。
5月となり、新緑が目にまぶしい季節になりました。
ニュースのトップは相変わらずコロナの話題ばかりです。本当に憂鬱な気分が続きますね。
早く収束して、5月のこの爽やかな季節のように、社会全体が穏やかな日々を迎えるようになってもらいたいものです。

さて、このブログも地元北九州にゆかりのある方に取材を続け、今回で6回目を迎えます。今回は洋風居酒屋「Bistro TATSU」を経営されている前田達広さんにお話をお伺いいたします。

インタビュー/Interview
洋風居酒屋「Bistro TATSU」:前田達広

―前田さん、今日はインタビューを楽しみにしていました。最後までよろしくお願いします。まずは前田さんの自己紹介をお願いします。
はい。前田達広と申します。八幡西区黒崎で洋風居酒屋「Bistro TATSU」を経営しております。

―幼少期の頃のことなどを少しだけお聴かせいただけますか。
少年時代は野球が大好きでした。小、中学校は野球に明け暮れていました。毎日のように、チームの練習とは別に「壁当て」という、壁にぶつけて跳ね返ってきたボールを取るという守備の練習をしていました。昔から好きなことは夢中になって飽きずにやる性格でしたね。逆に、興味がないことはすぐに飽きて続きませんでした。
今の仕事は、私にとってはまさに天職だと思っています。夢中で仕事をすることができています。営業時間が表とすれば、その裏には仕込み、掃除、事務仕事と雑用が沢山あり、トータルすると長時間労働になりますが、大好きな仕事なのでまったく苦になっていません。趣味は食べ歩きと仕事で、休日でも何かしらお店の業務をしています。ただ新婚なので、もう少し家庭を顧みようと心掛けています。

―ありがとうございます。家庭はとても大切だと思います。奥様を仕事と同じくらい大切にしてくださいね。
はい、ありがとうございます(笑)

―お店を開こうと思ったきっかけを教えてください。
はい。飲食店でのアルバイトの経験から飲食業界に興味を持ち、自分でお店を経営して、どれだけやれるのかを試してみたいと思っていました。少し詳しくお話をすると、大学生時代にさまざまなアルバイトをしたのですが、その中で最後に勤めた黒崎の居酒屋が飲食業界に入った直接のきっかけになります。そのお店はとにかくスパルタでしたが、活気があり、とても繁盛していました。私は接客を担当していましたが、その業務の一つとして、日記がありました。その日の良かった点、悪かった点、感じたことなどを書き残すのです。その日記に「お客様は十人十色。今の自分には1割のお客様しか喜ばせることができません。もっと沢山のお客様を笑顔にさせられる人間になりたい。」と、21歳の私が記した一文が私の原点であり、今でもチャレンジャーであり続けている理由です。私は何割のお客様を喜ばせることができているのか、いつも自分に問いかけながら日々を過ごしています。

―なるほど。前田さんの原点はそのノートの一文なのですね。
そうですね。ただ、飲食業界というあまりにも厳しい世界に一度挫折をしました。そして、大学卒業後はよしみ工産さんに就職させていただきました。しかし、25歳の時に、やはり自分の城を持ちたいと思い、知り合いのつてで北九州市内のフランス料理店に転職しました。ちなみに今経営している「Bistro TATSU」は、オープンキッチンでカウンター8席、テーブル10席の小さなお店ですが、その時からこの規模のお店を持ちたいと思っていました。ちょうど自分で料理を作って接客ができるサイズですね。そのためには料理が作れないといけないので、調理師としての修行を始めたのですが、それは文字通り地獄の日々でした。元々楽観的な性格で、料理も修行すれば何とかなると思っていましたが、甘かったです。料理人の世界は今まで自分の生きてきた世界とは全く別世界でした。年齢も性別も関係ない完全な実力社会です。当時はパワハラなんて言葉なんてまだなく、体罰も当たり前でした。調理経験ゼロからの転職はあまりにも無謀だったと思います。要領が悪く、手先も器用ではないため、残業、徹夜はしょっちゅうで、繁忙期になると1ヶ月間休みなし、38歳でお店を出すまでの13年間はずっと大変な日々が続きました。その中でも一番辛かったのが、東京のお店で27歳から修行した6年間です。地元北九州は情に厚い方が多いのですが、全国から若手が修行に集まっている 東京のレストランは完全な実力主義でした。相変わらず、仕事ができない私は雑用がメインで、そんな自分を不甲斐なく思い、泣きながら働いていました。それでも一度も自分でお店を出す夢を諦めたことはありませんでした。どこのお店でも「お前には無理!」と言われましたが、自分だけは「俺はできる!」と信じていたからです。そして、そんな大変な日々があったからこそ、今お店に来ていただけるお客様に感謝をすることができるし、一瞬一瞬を真剣に向き合う心を培うことができたと思います。ただ、またあの修行時代に戻りたいかというと、絶対に戻りたくありません。未だに夢でうなされますよ(笑)

―修行時代にとても多くのご苦労をされてきたのですね。そしてその経験が今につながっていると思います。「Bistro TATSU」はどのようなお店ですか。特徴なども教えてください。
飲食店は、「人」「料理」「空間」の3点のバランスで成り立つと言われます。
「人」についてですが、当店の特徴を一つ挙げれば、「私自身」ということになるかもしれません。店名も「TATSU」は私の名前ですので、お店の全てを背負っています。
「料理」は、「素材をシンプルに美味しく」をモットーにしています。特に地元の野菜を使った「地産野菜の旬菜プレート」は是非食べていただきたいです。
「空間」についてですが、店内は常に清潔であることを心がけ、内装も木目と白地を基調にしたシンプルなものにしています。それは、来ていただいたお客様が服をハンガーに掛けることにより、お店の彩りを完成させたいという願いです。
「Bistro TATSU」のコンセプトはお客様の笑顔が溢れる場であることです。ディナータイムは楽しそうに食事をされるお客様の活気で賑わっております。当店はビストロですが、パスタ、ピザ、アヒージョなども提供する洋風居酒屋になっております。看板メニューは、ビストロの定番「牛ロースステーキ」と「ポテトフライ(ステークフリット)」、若松など地元の野菜を使った「地産野菜の旬菜プレート」です。無農薬のブドウを使った「ビオワイン」もグラスでお出ししています。すべて素材を生かした調理を心掛けております。

―将来の夢やこれから実現したいことがあれば教えてください
「Bistro TATSU」は、コロナ禍の中、4月30日に3周年を迎えることができました。私が飲食業界に入って16年になりますが、ますますこの仕事の魅力に引き込まれています。自分の作った空間、料理、接客でお客様に喜んでいただけるという魅力です。将来の夢は「いつまでもこの仕事を続けていくこと」です。席数をもっと増やしたいし、料理の幅も広げたい、ピアノも置きたいし、もっと多くの方にお店に来ていただきたいと思っています。やりたいことや夢は尽きません。自分の仕事に一喜一憂しながらも日々精進しております。
黒崎では、「街づくり委員会」の方が中心となって、「はしご酒」、「街ゼミ」、「祭り」など、さまざまなイベントが催されています。地域の活性化のためですので、当店も出店していますが、正直、街を盛り上げるとか、地域に貢献するという段階までにはまだ至っていないと感じています。私が今できることといえば、目の前のお客様1組を、お一人を喜ばせることです。お客様は、家族、デート、友人、同窓会、記念日、お一人様など、さまざまなシチュエーションで来店され、店内ではお客様が主役です。そのお客様に「今日は楽しいディナーを過ごすことができた」、「いい一日だった」と幸せな気持ちで帰っていただくことが私の一番の喜びです。小さな取り組みですが、それがいずれ地域への貢献に繋がっていければいいと考えています。

―これからも前田さんのご健勝と「Bistro TATSU」様の益々のご繁栄をお祈りしています。開店3周年誠におめでとうございます。
ありがとうございます。ぜひまたお店にお越しください。心よりお待ち申し上げております。

プロフィール/Profile

前田達広(まえだ たつひろ)
福岡県中間市出身。少年時代は野球に熱中。
八幡高校在学中は3年生の時にラグビー部主将を務める。
九州産業大学時代にはさまざまなアルバイトを経験し、卒業後、よしみ工産株式会社(現:ヨシミ工産株式会社)に就職し、営業マンとして社会人の基礎を学ぶ。
25歳から飲食業界に入り、北九州、東京で修行を重ね、38歳の時に北九州市八幡西区に念願の「Bistro TATSU」を開業。
2021年4月30日に3周年を迎える。

洋風居酒屋「Bistro TATSU」
〒806-0028  北九州市八幡西区熊手1丁目1ー32 1階
TEL : 093-632-2900
URL : https://tabelog.com/fukuoka/A4004/A400404/40049313/
Facebook:http://www.facebook.com/bistrotatsu/